医療・看護・福祉のための方言教材の開発



 弘前学院大学 文学部 今村かほる
       看護学部 工藤千賀子

はじめに
 弘前学院大学では、2005年から地域の医療・看護・福祉の現場におけるコミュニケーションの問題、特に若年者における高齢者の話す方言の理解ができないことに関する問題について研究を進めてきました。
 また、その過程において、津軽という地域で医療・看護・福祉の現場で実習をおこなったり、仕事をする場合、患者や施設利用者の話す方言の理解なしにコミュニケーションがなりたたないという現実を受け止めるため、文学部・社会福祉学部・看護学部の学生の教育に活用できるコミュニケーション教材を開発する必要性を認識しました。
 これまでの今村の調査で、医療現場では、患者の話す方言を医師が理解できない時、看護師がいわば「通訳」として、医師と患者の間をつなぐ役割を果たしていることが確認されています。けれど、共通語化が進み、伝統的な方言も衰退することによって、その土地の出身者であっても、方言を使用することも、理解することも難しくなっているといます。
そのため、ことばの世代差が大きく、難解で、また高齢化社会でもある地域社会が直面する課題の解決に直結する手立てとして、主として看護や福祉におけるコミュニケーション教材の開発に着手しました。
医療・看護・福祉の代表的な場面を取り上げて、地域差や場面差があることをご紹介します。そして、医療・看護・福祉のコミュニケーションを共通語だけでおこなうと、逆に相手(患者さんや利用者さん)にとっては負担になるので、適度な共通語・敬語、方言の関係が理解できる教育に応用できるための教材(シナリオ・動画)を開発中です。
ここでは、青森県津軽方言における問診場面、富山県氷見市方言における問診場面のシナリオを紹介します。(動画も今後、公開していく予定です)

<研究協力者>
青森県:齋藤百合子さん・秋元博子さん・森下法雄さん・楢木弘さん・木村督彦さん
・福士秀文さん
富山県:要門美規さん・釣石浩美さん・本多清治さん・三國博美さん・竹岸昌子さん
・橋本洋子さん




教材開発の実際
 これまで開発した教材の解説と、基となったシナリオ、それに基づいて撮影された問診場面の文字化資料などを紹介します。

<2009年>
 教材開発の準備・試作段階として、弘前学院大学のスタッフにより、医師による問診の場面と、看護師による腹痛の問診場面を開発・撮影した。
 今村がこれまでに実施した弘前市内の医師達に対する聞き取り調査によれば、津軽出身の医師達は、特に方言と共通語を使い分けようという明確な意識は持っていないことが多い。本人の意識としては「自然とだ。」という答えが多いが、実際の問診場面では、医師から患者への医学的説明(病名・治療法・今後予想されることなど)には共通語が、患者の訴えや状況・環境などの聞き取りには方言が用いられることが多い。また、今後の治療方針などに関して患者の希望を聞く際や、患者の心情を汲み取ろうとする際には、医師も方言を用いて語りかけるほか、患者のことばに対する相づちに方言を用いるという特徴が観察される。
 こうした問診場面のうち、青森県に多い病気である「あたり」(脳血管障害)における問診を取り上げ、医師にどのような順で、何をたずねるのかなど、シナリオ作りにご協力いただいた。
 また、看護師による腹痛の患者の問診場面については、弘前大学医学部保健学科・則包和也先生の指導の下、学生の丹野さんが卒業研究のために作成した共通語による問診の型見本を、今村が方言訳をする協力をし、研究のために提供していただいた。

 撮影日 3月11日
 撮影場所 看護学部 教室
 出演者 医師による問診 医師 吉岡利忠(学長)
             患者 福士秀文(職員)
     看護師による腹痛の問診 看護師 工藤千賀子(看護学部)
              患者 木村督彦(職員)
 撮影者 井上諭一(文学部)
 制作  今村かほる(文学部)

参考資料:http://hougen-i.com/file/hukutsuu-hirosaki.pdf

 「腹痛」を訴える患者を設定し、看護師が問診する場面のシナリオを作成した。津軽弁を生活のことばとする患者は、その苦痛を特有の語形で語る。看護者がその苦痛を実感として理解するには、聴き取ることが大前提となる。聴き取ることができ、さらに話し言葉として相手に伝えることができると、人間関係を成立させ発展させることが可能となり、適切な医療・看護の提供ができる。
 このコミュニケーション場面において、以下の2つの点で方言が有効であると考えられる。まず、適切な診断や治療を導き出す、つまり病を治すための情報である「客観的訴え」が正確に伝わる点である。もう一つは、病んでいる人を治すための「主観」つまり、苦しんでいる思いが正確に伝わる点であると考える。特に「主観」においては、看護者との距離感や信頼感、それに基づき本当に言いたいことや本心を安心して伝えることができる点において有効であると言える。

<2010年>
2010年は財団法人海外技術者研修協会編著『専門日本語入門 ―看護篇―』(2009)を
基にした看護場面の撮影をおこなった。このテキストは、EPA(経済連携協定)によりインドネシアとフィリピンから受け入れている、外国人看護師候補者のための日本語研修用テキストである。EPAによる外国人看護師・介護士候補者に対する日本語教育は、2008年のインドネシアから始まり、2009年にフィリピンからの受け入れも始まった。日本語が堪能で日本語教育が必要でないと認められる候補者を除き、日常生活に必要な日本語と、看護師・介護士という仕事の研修(各病院・施設で行う)のための専門日本語の教育は、受け入れの年度によって機関や実施場所、教育機関が異なる。
その中でAOTS(海外技術者研修協会)の開発した『専門日本語入門 ―看護篇―』専門日本語テキストに収められている「事例1」「事例10」を参考に、津軽という地域に即した共通語として「大学病院の場面」と、方言を主とした日常生活の「かかりつけ医の場面」を想定した。これを津軽ネイティブの看護師と模擬患者(SP)それぞれに提示し、いわゆる「教科書の標準語」なので、「ふさわしい言い方・日常的な言い方」に直してほしいと依頼した。
出演者(協力者)は、市内の病院勤務の看護師:齋藤百合子さん、患者:秋本博子さん(劇団弘演)・森下法雄(劇団弘演)の方々である。(ここに記して感謝申し上げる)

撮影日 9月8日
 撮影場所 大学保健室
 出演者 看護師による食中毒の問診 看護師 齋藤百合子(弘前中央病院)
              患者 秋本博子(劇団弘演)・森下法雄(劇団弘演)
 撮影者:井上諭一(文学部)
 制作:今村かほる(文学部)
 
以下に、撮影の下敷きとなった『専門日本語入門 ―看護篇―』(2009)に採録された「事例1」を引用する。

事例1
   山本秋子、44歳、女性。夫と、17歳と14歳の子供の4人家族。

   急な腹痛と下痢で、午前6時に救急車で救急外来に運ばれた。食中毒の疑いで、診察室のベッドで補液をしながらしばらく様子を見ていたが、症状が落ち着かないので、そのまま入院することになった。約30分おきにトイレに行く状態だったので、トイレ付きの個室に入った。現在は看護師が夜勤から交替したところである。入院にあたって、基礎情報を収集するために、担当看護師が面接をすることになった。

 看護師の水野が病室に入って行った。「山本秋子さんですね。初めまして。」

話す練習

水野:山本秋子さんですね。初めまして。看護師の水野です。よろしくお願いいたします。
山本:山本です。よろしくお願いします。
水野:突然のことで大変でしたね。今はいかがですか。
山本:ちょっと良くなったみたいです。8時半ごろトイレに行って、その後は行っていません。
水野:そうですか。じゃあ、ちょっと治まったようですね。食中毒の疑いということですが、念のため、しばらくの間、入院していただきます。入院にあたりまして、山本さんのお体のことや、ご家族のことについて、少しお話を伺いたいのですが、今、よろしいですか?
山本:はい。
     ………
水野:ゆうべ、最初に自覚症状が出たのは何時ごろでしたか。
山本:夜中の2時ごろです。
水野:2時ごろですね。はい。では、昨日召し上がったのはどんな物でしたか。夜に召し上がった物から思い出していただけますか。
山本:ええと……、晩ご飯の時、生のカキを食べました。
  
これに基づいて、「大学病院の場面」と「かかりつけ医」の場面を、女性患者・男性患者それぞれにおいて作成した。


参考資料:http://hougen-i.com/file/syokutyuudoku-hirosaki-daigaku.pdf
     http://hougen-i.com/file/syokutyuudoku-hirosaki-kakaritsuke.pdf
     http://hougen-i.com/file/m-syokutyuudoku-hirosaki-daigaku.pdf
     http://hougen-i.com/file/m-syokutyuudoku-hirosaki-kakaritsuke.pdf


医師からの説明に対して、看護師に質問する場面
撮影日 9月8日
 撮影場所 大学保健室
 出演者 看護師に対する質問 看護師 齋藤百合子(弘前中央病院)
               患者 森下法雄(劇団弘演)
 撮影者:井上諭一(文学部)
 制作:今村かほる(文学部)

以下に、撮影の下敷きとなった『専門日本語入門 ―看護篇―』(2009)に採録された「事例10」を引用する。

事例10
   小林知行、52歳、男性。妻と大学生と高校生の子供の4人家族。

   職場の健康診断で胃に異常が発見された。自覚症状は全くなかったが、外来で胃粘膜の細胞検査を行った結果、初期の胃癌と判明した。井上医師は本人と妻を呼び、胃癌であることを告知した。治療方針については、今後さらに検査を進めながら、話し合って決めることになった。現在は診察室能の隣の部屋で、これからの検査の内容や日程について、看護師の水野が説明を行っているところである。

   小林は水野に声をかけた。「先生はああ言うけど、違うんじゃないの?」…

小林:先生はああ言うけど、違うんじゃないの?
水野:違う? 何がですか。
小林:癌なんて言われても、どこも痛くないし、ぴんぴんしてるし、間違いじゃないの?
水野:そうですね。癌になっても、初めは自覚症状が全然ないことも多いんですよ。癌細胞が早く見つかったんですから、しっかり検査を受けた方がいいと思いますよ。
小林:そう言われてもね、どうも信じられないんだよ。
水野:お気持ちはよく分かります。でも、自覚症状が出てからでは遅いことがありますから、早く見つかって良かったと思いますよ。
小林:まあ、それはそうだけど。
水野:ええ。次の検査は金曜日になります。それまでいろいろお考えになると思いますが、ご心配なことや分からないことなどがありましたら、いつでもこちらにお電話くださいね。
小林:分かりました。ありがとうございます。

 この場面を、「大学病院」と「かかりつけ医」について、男性患者において作成した。以下、文字化資料を示す。

参考資料:http://hougen-i.com/file/soudan-hirosaki-daigaku.pdf
     http://hougen-i.com/file/soudan-hirosaki-kakaritsuke.pdf

<2011>
 2011年は、工藤千賀子が作成した「脳梗塞の入院患者の問診」と「心筋梗塞で緊急入院した患者の問診」のシナリオに基づいて撮影をおこなった。
 撮影日:2011年10月18日
 撮影場所:弘前学院大学看護学部基礎看護学実習室
 出演者:看護師 工藤千賀子(看護学部)
     患者 秋本博子(劇団弘演)・森下法雄(劇団弘演)
 撮影者:井上諭一(文学部)
 制作:今村かほる(文学部)

●脳梗塞
症状:1.意識障害、2.運動障害、3.失語症、4.排尿障害、5.高次脳機能障害、6.嚥下障害
問診等:
1. 意識状態を診断する「スケール」に沿って声をかけたり、確認(診断)していく
2. 歩行に関して「よろめぐ」「よちゃめぐ」「めくめぐ」
3.4.5. 観察する
6.のどつまる

☆事例シナリオ
【氏名】 吉田 信夫(よしだ のぶお)
【年齢】 78歳
【性別】男性
【家族】妻(75歳)と二人暮らし。妻の健康状態は良好である。子供は、娘が3人で
同市内に在住しており、それぞれ家庭を持っている。
【場面】2週間前の朝食後、居間のソファに座って新聞を読んでいるときに、左上下肢の脱
力感としびれが出現し、間もなく意識レベルが低下し、ソファに倒れこんだ。そば
にいた妻が、すぐに救急車を呼び、A病院に搬送され入院となった。
【その他】58歳から高血圧症の診断で内服治療をしている。妻からの情報によると、性格
はまじめで無口、我慢強い。普段は、焼酎を2号/毎日、喫煙歴は、23歳から10本/
毎日。利き手は右手である。
    入院後、点滴治療を受け意識は回復したが、日時がわからなかったり、少し前に言ったことを忘れてしまったり、改訂長谷川式簡易知能評価スケールは16点であった。状態が安定したため、入院後12日目から訓練室で理学・作業のリハビリテーションが開始となった。本人は「はやぐ、歩きて~なぁ」と言っている。

参考資料:http://hougen-i.com/file/noukousoku-hirosaki.pdf

●心筋梗塞
 症状:1.胸部に圧迫されるような強い痛みが30分以上持続し、腕、肩、背中に放散することもある、2.冷汗、3.悪心、または嘔吐、4.不安感
 問診等:
1. 心臓が「どぐめぐ」「だぐだぐす」「だぐめぐ」「胸ががばっとする痛み」
2. ひやあせ
3. 「つぎあげ」
4. かちゃくちゃね

☆事例シナリオ
【氏名】 糸川 隆(いとかわ たかし)
【年齢】 53歳
【性別】男性
【職業】会社役員
【家族】妻(50歳)、長女(23歳)、長男(20歳、大学生)、母(80歳)の五人暮らし。4人兄弟の次男であるが、父親と、兄が心筋梗塞で亡くなっている。
【場面】時々胸部が苦しくなることがあったが、安静にすると消失していた。昨晩、胸部の痛みがあったが、すぐに消失したのでそのまま眠った。本日夕方、職場で冷感を伴い、前胸部痛を強く訴え、救急車で搬送された。
【その他】性格は、几帳面で真面目である。40歳頃に高血圧と高脂血症と診断され、食事指導を受けていたが、仕事柄、飲酒や外食の機会が多かった。

参考資料:http://hougen-i.com/file/shinkinkousoku-hirosaki.pdf

<2012>
 2012年には、富山県氷見市方言における教材開発に着手した。

 素材は津軽方言と比較のため、同じようにAOTS(海外技術者研修協会)の開発した『専門日本語入門 ―看護篇―』専門日本語テキストに収められている「事例1」食中毒の場面を参考にして、「大学病院」と「かかりつけ医」の2場面を男性患者・女性患者それぞれで撮影した。
撮影日 11月4日
 撮影場所 氷見市スポーツセンター
 出演者 看護師による食中毒の問診 看護師 橋本洋子(元看護師)
                  患者 本多清治
                  患者 竹岸昌子
 撮影者 今村かほる(文学部)
 制作  今村かほる(文学部)
 シナリオ文字化 要門美規(富山大学非常勤講師・富山国際大学非常勤講師)
         釣石浩美(看護師)

参考資料:①http://hougen-i.com/file/m-syokutyuudoku-himi-kakaritsuke.pdf
     ②http://hougen-i.com/file/soudan-himi-kakaritsuke.pdf
     ③http://hougen-i.com/file/syokutyuudoku-himi-daigaku.pdf
     ④http://hougen-i.com/file/m-soudan-himi-daigaku.pdf

参考動画:①http://hougen-i.boo.jp/fp.php?code=movie1
     ②http://hougen-i.boo.jp/fp.php?code=movie2
     ③http://hougen-i.boo.jp/fp.php?code=movie3
     ④http://hougen-i.boo.jp/fp.php?code=movie4
 
<参考文献>
海外技術者研修協会編著(2009)『専門日本語入門 ―看護篇―』
佐藤和之(1996)『方言主流社会』おうふう
松木明(1982)『弘前語彙』弘前語彙刊行会
横浜礼子(1991)『病む人のつがることば』青森文芸協会
    (2003)『介護学生のための三つの津軽ことば』路上社


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